ここは、もうすぐ定年退職のワタシ(63歳)に、悩み多きお仕事ガールのムカシちゃん(23歳)が、仕事にまつわる思いを話しに来る場所です。仕事のモヤモヤ、誰にだってあります。そんな、あるあるな話を皆さんと共有し、悩んでいるのは自分だけじゃないと気付いていただければ嬉しいです。過剰に落ち込まず、楽な気持ちで仕事が出来ますように。ザワつくこころが少しでも凪いでいくようなサイトを目指しています。
震災の日
ムカシ:今日は仕事とは直接の関係がない社内研修があったよ。
ワタシ:珍しいね。
ムカシ:そう、今日は阪神淡路大震災から30年の日でしょう?それで、震災に思う事のテーマで、数人の社員の話を聞いたの。色んな体験があったんだなあと思って。話しに来たよ。
ワタシ:ワタシも30年前、大きな揺れの中にいたよ。人生観の変わる出来事だったよね。折に触れ思い出す必要があると思っているよ。
ムカシ:アラフィフの専門職の方のお話、こころに残っているなあ。あのね・・・
イツキさんの経験
ムカシちゃんの会社のイツキさんはアラフィフの専門職の男性です。彼は、大阪の西側の市で生まれ育ち、18歳で大震災を経験しました。幸い、身の回りの人はみんな無事で、自宅も倒壊せず食器がたくさん割れたくらいでした。不便と言えばライフラインが数日ストップしたくらいの被害でした。
イツキさんはお話の冒頭でこう言いました。メディアで目にする震災の体験談はとてもショッキングで、大きな被害と心の傷がクローズアップされることが多いですが、自分の体験談はありきたりで大した物では無いかも知れない。でも、こういった小さい体験でもその後の人生に影響したり、こころの片隅にこびりつき、この時期になれば何かと思い出す、とてもインパクトの強い体験だったことには違いない。大きな災害というのは、程度の差はあれ、多くの人の人生に影響を及ぼす物である事を感じてほしいのです。だから人々は、『あれは震災の翌年のことだったから・・・』とか『震災の時が18歳でしょ・・・』とか、震災の年を基準に月日を数えたりするのでしょう。
イツキさんは当時18歳で受験生、希少な専門職を目指していたので、1月から全国の学校を受験する予定が立て続けにありました。震災直後はニュースのショッキングな映像に身をこわばらせて、余震が起こる度、心臓をぎゅっと縮こまらせていました。淡路島に住んでいたおばあちゃんの安全が確認できた短い電話から、数週間連絡が取れなくなった事もこの時期になると思い出します。きっと、おばあちゃんが一人で不安な日々を送っているんだろうという気持ちが何日も心の重荷になっていたのでしょう。震災から数日後、広島での受験を控え、どうやって試験会場にたどり着くか毎日勉強も手につかず悩んでいました。神戸の街を大きく迂回して姫路側に出る電車が走っている事を知って、始発に乗り込み広島を目指しました。少ない本数の貴重な電車は、多くの避難者の人だかりでした。長蛇の列は一向に進まず、何時間も寒空の中待ちました。お年寄りが、地面に座り込み、小さい子が泣いているその列は、元気な若者だったイツキさんにも苦痛の時間でしたが、受験生のイツキさんは、将来の夢をかなえるため自分の選んだ試練だと感じられたので耐えられました。そもそも、こんなに辛い人たちの中で、自分の夢のために受験に行くことが場違いだと小さくなっていました。この長蛇の列は、前後左右、身体が触れるくらいの密集で、何時間も同じ顔ぶれと同じ目的のために待つという時間です。定期的に駅員さんが、『今、電車がこちらに向かっています。全員乗れるかは分かりませんが今しばらくお待ち下さい』と同じアナウンスをマイクで叫ぶのですが、駅員さんも辛い仕事だなと気の毒になるイツキさんでした。そんな時、一人の綺麗なおばさんが話しかけてきました。『どちらからの避難ですか?私は須磨です。』とっさにイツキさんは『ごめんなさい、僕は受験に行くのです。』と謝ってしまいました。おばさんは自宅マンションが液状化でもう住めないこと、実家の山口県にしばらく避難しようと思っている事を話したあと、『受験生、こんな時に大変で気の毒。謝らなくても良いのよ、あなたも震災の被害者、辛いの同じだわ。』と優しい言葉をかけてくれたのでした。イツキさんは我慢していたつらさを、避難民の方に救われて、この前途多難な旅に向き合ったのでした。時間が経ってくると、まわりの人たち数人と飲み物やお菓子など交換しながら、励まし合ったりして電車を待ちました。もう今が何時か分からないような状態でした。余震が来る度、傷ついた人々は悲鳴を上げ、励まし合い、時々辛い話をして泣く人の話を聴きながら、もらい泣きし、そんな時間を過ごして姫路で新幹線に乗りました。新幹線の中もギュウギュウのすしずめ状態で、同じメンバーと移動をし、広島に着いた時、おばさんは一緒に降りてきました。『私、少し広島で休んでから山口に帰るわ。お夕食一緒にどう?』と言って、駅の喫茶店で夕食を奢ってくれたのでした。おばさんは言いました。『あなたの選んだお仕事はとても良い仕事、今日一日ずっと一緒に居てあなたにぴったりのお仕事と思ったわ。大変やったね、頑張りなさい。幸運をお祈りしてるよ。』イツキさんは涙が出そうになりました。おばさんこそ大変なのに。『おばさんも・・・幸運を祈っています。』と言って別れました。
人生の中でインパクトのある、たった一日の出来事でした。
あれから30年、イツキさんは希望の専門職に就き、辛いことも楽しいことも味わいながら働いています。時々思います。あの時のおばさんはお元気にされているだろうか。傷ついたこころは、少しは癒えたのだろうか・・・
イツキさんの仕事への思い
この体験を得て、イツキさんは人との繋がりや気遣いなどを大切にしているとのことでした。
自分の余裕が無くて至らないこともあるけれど、あの時、おばさんからいただいた優しさは、生涯忘れません。理不尽で大変な思いをしている時、誰かの優しさは救いになります。仕事を通じて人の役に立ち喜んでいただく事、これは自分を救うことにもなると思うのです。AIが発達していらなくなる仕事が多く出てくるなんて言い方されますが、効率化されたり変化を求められることはあっても、世の中に無くて良い仕事なんかありません。それぞれの職業人を尊重して、生きていきたいとイツキさんは講演を締めくくりました。
まとめ
ムカシ:イツキさんのお話、良かったでしょう?
ワタシ:うん。ちょっと涙が出たわ。おばさんとの優しい交流、イツキさんの仕事と向き合う糧になっているのね。そして、ただでさえ大変な遠方での受験を震災の中経験した被災者だよね。おばさんからもらった優しさを少しずつ他の誰かに渡して行っている、そんなイメージだよね。
ムカシ:私も辛いときには誰かにもらった優しさを、他の誰かに分けられるように頑張っていこう。辛いとき、ワタシさん、優しさちょうだいね♡
ワタシ:辛いときはワタシに話しに来ても良いんだよ。